「問いを持っておくと、どこからか答えが得られる」という法則を信じているから。
今日はちょっと禅問答みたいなお話。


問いと答え

最近、ちょっとぶっ飛んだおしゃれをしたいな、という思いがありました。
でも、ネットで見てもあまりピンとこず、「かっこよくておしゃれでぶっ飛んだ感じになるにはどうしたらいいかなー」と考えて(問いを持って)いたんですね。
そして、そのままそのことをすっかり忘れていました。

そうしたら、たまたま先日入ったカフェにいた人からインスピレーションを受け、「おぉ、この方向でおしゃれしてみよう!」と決めることができたんですね。


法則は信じるから法則になるのではないか

卵が先か、鶏が先か...という話にも見えるかもしれません。
考えてアンテナを立てていたことに対して、たまたまピンときたことで、「問いを持っておくと、どこからか答えが得られる」と確信を得た。
「問いを持っておくと、どこからか答えが得られる」と信じていたことで、問いに対する答えが降ってきた。
どっちにも取れます。

ですが、「問いを持っておくと、どこからか答えが得られる」と信じていることで、たまたまピンときたことを、偶然の出来事にしておくのではなく、一定の法則として認識できたのではないか、と思うのです。

「ビンゴにあたるとその後必ず悪いことが起こる」とか、「旅行に行くたび、いつも観光スポットの休館日、閉鎖などと重なって楽しめない」とか、そういうのも同じ。
一般的な科学的法則ではなく、「私が/あの人が○○するといつも××になる」みたいなシリーズのオレオレ法則は、偶然を法則として繋げて認識するから生まれるものです。

…と考えるなら、○○と××には、好きなものを入れていいのでは?(大発見)


まとめ

なんだか人を食ったような話になってしまいましたね。
法則は法則と信じるから法則になる。
…と、信じているのも、私が認識した法則かもしれないですね笑
としたら、あなたは何を法則と認識するでしょうか?