いやいや従っていると思っていることだって、自分で選択して従っているのだというお話

わんこそばみたいに、瞬間的な選択は日々連続しています。

起きる?二度寝する?
朝、起きたら布団は畳んでおく?
パジャマから着替える?
着替えるなら何を着る?
歯を磨く?顔洗う?
何食べる?
今日は学校や会社に行く?
どの道を通って行く?
電車の中でスマホをチェックする?

常識として、無意識に選択していることも多くあるでしょう(外に出るときは何かしらの服を着て、靴を履くとか)。
また、そうせざるをえないと判断している選択もあるでしょう(遅刻するから、二度寝せずに起きる必要があるとか)。

それらも、実は自分で選んだことです。

ぶっちゃけ、全裸外出はやろうと思えばできる
でも、何も身につけないで外出したら恥ずかしい上に、逮捕されるかもしれないから、ちゃんと服を着て靴を履く選択をすることに決めた

ぶっちゃけ、二度寝はやろうと思えばできる
でも、そのせいで仕事に遅刻したら、評定が下がってしまうし、仕事も溜まってしまうから、ちゃんと起きる選択をすることに決めた



こうしなきゃいけないからこうしている、
こう決められているからこうせざるをえない、
という風に、
常識だから、誰かがそんな感じで決めたから、従わざるをえないと思って過ごしていると、とても窮屈になってしまいます。

でも、窮屈と思っているそのことでさえ、従わないと悪いことが起こる、酷い目にあう、従っておいた方が得だ...などなど判断して、自分で従うと決めて従っているのです。


実は、従うべきと思い込んでいる選択肢に従わない道だってあるかもしれない。
全裸で外出する選択だってあるかもしれない(普段は無理でも、ヌーディストビーチに行くとか)。
二度寝する選択だってあるかもしれない(スヌーズ機能でもう5分だけ寝るとか)。

そうすると、この選択は本当に自分が納得できるものか?と立ち止まって、選び直すチャンスが生まれるんですね。


まとめ

人生は選択の積み重ねでできています。
自分でその一つ一つを選べるんだ、と気づくことが、自分の納得する人生を歩む第一歩だと感じます。