刺激的な人間関係・生活環境・仕事が、ただの日常に変わっていってほしくないと思う時の考え方

イタリアに引っ越して、一年半くらい経ちました(とはいえ、コロナの影響で日本に一時帰国して、イタリアに戻れずにいた時期が長かったので、ようやく累計一年くらい住んだことになる)。
そんな中で、イタリアで暮らす事、食事、見る風景などが、だんだん自分の日常になってきたなと感じます。


非日常が日常になってしまうことは悪いこと?

これまでの非日常が日常になってしまうのは、マイナスのことではないか?と考えることが時々ありました。

日常になってしまったら、いつもと同じで飽きてしまい、感動できなくなる。
日常になってしまったら、刺激がなくなる、魅力を感じなくなる。
日常になってしまったら、つまらなくて不満に思えてくる。

暮らしに限らず、
例えば好きな人と一緒になったけれど、それが日常になっていくことでマンネリになって不満が溜まってしまうとか、
憧れの仕事に就いたけれど、それが日常になっていくことで、きらきらして見えていたはずの仕事が退屈に思えて辞めたくなってくるとか、
そういうことも似ているでしょう。

そう考えると、非日常がただの日常に変わってほしくない、と感じるかもしれません。


刺激≒幸福

「刺激」があることが幸せ、と考えていると、非日常が日常に変わることが怖くなるのかもしれません
ドキドキするとか、何が起こるかわからないとか、ワクワク興奮するとか、そういう刺激を感じられることが幸せだと定義してしまうと、穏やかな日常、変わらないこと、同じであること、見慣れること...総じて刺激がなくなることが、幸せがなくなることのように思えてしまうからです。

言葉も通じない見知らぬ環境に引っ越して暮らし始める刺激、
付き合い始めたばかりの相手の言動が、自分にとって知らない、予測できないことだらけという刺激、
憧れの仕事に慣れない中で、ドキドキしながら進める刺激。
そうしたスリルは人生に張り合いを持たせてくれるかもしれませんが、それだけが幸せではないのかな、と思うのです。

暮らしが落ち着き、安心して過ごす日々。
長く付き合った相手のいい面も悪い面もわかった上で、穏やかに過ごす時間。
仕事を安定してこなせるようになり、余裕が出てきた状態。

スパイシーさに欠けた薄味かもしれないけれど、「穏やかでよかったなぁ、ありがたいなぁ」と感じる時、それもまた幸せなのかな、と思うんですよね(もちろん、それだけだとやっぱり味気ないから、たまにはスパイシーさも求めていきたいけど)。
そう考えると、非日常が日常になってしまうことは必ずしもマイナスではないと言えるかもしれないですね。


まとめ

刺激があることも幸せ。
穏やかさ、安定もまた幸せの一つ。
バランスよく求めていきたいな、と思ったのでした。