神的な存在にはなぜ明確なイメージがないのか

先日、救済者の存在のお話をしたのですが、そこからふと思ったことについて書いてみたお話。
(「救済者」のお話がピンとこない方は、先にリンクから読んでみてください)


神にはなぜ明確なイメージがないのか

神的な存在って、イメージが曖昧ですよね。
例えば、神がアイドルみたいにすごい可愛い女の子とか、ジャニーズ事務所にいそうなイケメン...と容姿が固定されているわけでもなければ、
決まった口癖があるとか、一人称は僕だとか、好きな食べ物は焼肉だ...みたいなキャラ設定も決まっていないわけです。

イメージを明確化すればするほど、その存在がすごく近い存在になりますよね。
でも例えば、自分と心の中で対話して、許してくれる救済者が、自分の憧れの俳優さんみたいな容姿と声で、完全無欠でとても優しい性格の存在だったと仮定しましょう。
その人に向けて、「自分はすごく悪いことをしてしまった...」とか、「こんなひどいことを考えてしまった」とか懺悔しようとした時、なんだか言い出しにくくなるのではないかと思います。

実際に存在する人ではないけれど、その救済者をありありと想像できてしまうことで、
(この人にこんなこと言うの恥ずかしいな...)
とか、
(この人にこんなカッコ悪いこと考えてるってバレたくないな...いい顔してたいもんな...)
みたいな気持ちにならないでしょうか。
本来、なんでも受け入れて聞き届けてくれる存在のはずなのに、遠慮が発生して話しにくくなってしまうんですね。

そう考えると、ふわっとしたイメージの方が、拠り所としてすがりやすいのではないかな、と思ったのです。


まとめ

ということで「神的な存在にはなぜ明確なイメージがないのか」の一つの回答として、「その方が安心して頼りやすいから」なのではないかな、と思ったのでした。