知るということは、世界の解像度が上がることなのではないか

昨日、念願のボイトレを受講してみました。めちゃくちゃ楽しかったです。

その中で、人はどうやって声を出しているのか、今自分の声の出し方はどうなっていて、どう変えていけばいいか、などをわかりやすく説明してもらいました。
受講後、普段よく聞いている歌を聞いてみて、「なるほど、この人はこういう歌い方をしているのか...」と以前よりわかるようになったんですね。

知る、ということは、世界の解像度が上がることだと思います。

イタリアで暮らし始めた当初、スーパーに行っても何も分からなかったのが、イタリア語を勉強することで、張り紙や商品名が読めるようになったり、店内アナウンスを聞き取れるようになったりした、というような経験をしたのですが、それも同じかもしれません。

ある知識を持って見ることでしか、捉えられない世界がある。
その知識を得たから、感じられる世界がある。


世界の解像度が上がると、世界が明るく、鮮やかに、より美しく見えます。
今まで気にも留めてこなかったようなこと、本当は見ていたり聞いていたりしていたのに素通りしていたものが、意味を持って自分の前に立ち現れてくるからです。
受け取れる情報量が増えることで、世界をより味わえる、とも言えるかもしれません。

学ぶ、ということは、主体的に世界の解像度を上げていく行為だと思います。
学び続けることで、人は世界の解像度を上げ、何度も感動を発見しながら生きていけるのではないかな、と思ったのでした。