何かにチャレンジしようとして、
「自分にはどうせできないよな...」
「自分ダメだしな...」
と、始める前に諦めてしまうことがありました。


実はそのように考えることで、他人から評価されるような挑戦を避けていた、と気づいたお話です。


評価が怖い


なぜ評価を避けていたかというと、評価される事で自分の存在の安全が脅かされると信じていたから、だったんですね。


良い評価は徹底的に死守しなければならない。
悪い評価は徹底的に挽回しないといけない。

そうしないと見捨てられてしまう、コミュニティに安全に属していられなくなる、と感じていたのです。


多分、それは小さい頃の経験が影響していて、小学校のクラスというコミュニティの中で、

自分の言動のせいで安全にそこに属せなくなってしまった(要するにいじめられた)経験が、根深く残っているのかな、と発見したんですね。



挑戦が怖いもの、怖くないもの


私の場合、例えば独学で創作するように、他人を介さない挑戦なら容易にできました。

自分でチャレンジして、自分でうまくできた!と喜ぶところは、基本的に一人で完結するものだからです。


しかし、ちょっと難易度の高い仕事など、自分のコミュニティの中にいる人(上司、同僚、後輩etc.)に評価される挑戦にはすごく尻込みして、理由をつけて避けがちでした。

その人に悪い評価を下されれば、そこにいられなくなると信じていたからです。


そして、どうしてもやらなければいけない時は、本当に死ぬ気で取り組んでいました。

そこに所属できなくて死ぬという恐怖から逃れるために死ぬ気でやるという、まぁいわゆるデスマーチです笑


コンクールやハッカソンなども人に評価されるものですが、仕事より嫌悪感が少なく参加できていたのは、

評価を下す人が赤の他人で、自分の存在するコミュニティにいるわけじゃないからだな、と気づいたのです。



まとめ

「評価の結果次第で他人に見捨てられる」
「いい評価だけを集めなければならない」


そういう気持ちで動いているから、何かをするたびに必死になるし、
それが辛くて、なるべく自分一人でできることをしようとするし、

何かに興味が湧いても、それが自分のコミュニティにおける評価に関わりそうなら、

「自分には無理だ」と諦めてしまっていたとわかりました。


次回は、そこからどのように考えたら楽になったか、考察してみたいと思います。