今日はあんまりオチのない日記です。



湧いたものを見極める


先日、ある人と話していた時のこと。
自分がほんのちょっとだけ無理をしながら周りに気を回して動いている部分をピンポイントで言い当てられてどっと冷や汗をかきました。

自分の中では無意識にいいものだと思って、ほぼ自動操縦でやっていることだったので、そこにあるわずかな歪みに直面して大きく動揺したのです。



自分の喜びや楽しみのためと思ってしていることの中にも、やっぱり少し外側に向けて無理して軋んでいる部分があるらしい。

そう気づいた時、いま抱えている自分の選択、やりたいと思っていること、やろうとしていることは、本当に自分の中から純度高く「やりたい」と生まれてきたものだろうか?
と不安になったのですね。



自分が思ったこと、湧いたものが正解だと言いながらも、そもそもその思ったこと自体が、外側にある「良さそうなもの」を拾ってきただけなのではないか?
「やりたい」と思ったのだと錯覚しているだけではないのか。



そうして考えていくうちに、
これ、実はやりたかったけどやっていないことだよね?
これ、実はあまりやりたくないけどやっていることだよね?
の2つが、それぞれチラッと頭によぎったのですよね。

や、や、やだ〜〜〜〜〜っ!(蓋

...蓋をしてもなくならない。



何が嫌かって、自分の核となっている行動原理や動機(=「やりたい」)を点検することで、その矛盾や破綻を直視してしまったら、アイデンティティレベルで揺らぎうるのが怖いのですよね。


これまでも自分と向き合ってきて、そのたびに背負っているものが軽くなる経験をしてきたので、必要なプロセスだと思って直視してみようと思います。
良薬はまぁまぁ口に苦いけれども。

内省って終わりのない作業なのだよなぁ。





まとめ

Q. あぁ〜〜〜〜見なかったふりできんかな(๑╹ω╹๑ )

A. 自分でこんなこと言ってませんでしたか?(※思いがけず盛大な前フリになっていた)。