私がなんとかしておかないと!という気持ちで、つい先回りしていろいろ動きたくなってしまう。
そんなことあるよね(๑╹ω╹๑ )
例えば仕事をしていて、なんとなくみんなが触れずに後回しにしているタスクを見かけた時。
まぁ正直、今すぐに片付けなくても支障はないのだけれど、残したままにしておくのが気になって、率先して「これやっとくね!」と言って片付けてしまう。
あるいは対人関係でも、相手の言動やふるまいを予測し、それ込みで先読みしながらコミュニケーションしてしまう。
でもこれ、やりすぎると疲れます。そりゃそうだ。
ですので最近、「見えてはいるけれど、あえて放置しておく」という手法を取るようにしています。
ほっといてもなんとかなる
ほっといてもなんとかなる。
自分が先回りしなくても。
- ...でも、私がやっておかなきゃ、誰も動いてくれないじゃないですか!
いえ。
あなたが先へ先へと動いて片付けてくれるので、周りの人は「あ、この人に全部任せておけばいいんだ」という謎の安心感でますます動かなくなっているんです。
周りの人は、あなたが片付けてくれるのは、あなたがやりたくってそうしている、と思っていることもあります。
自分から行動することに喜びがあるならそれでもいいのですが、本当はやりたくないのに、「なんで私ばっかりが」「私だけ我慢して、みんなのためにしてるのに!」と恨みを深めてしまったら、苦しくなってしまいます。
- でも、私がやらなきゃ誰がするんですか?
あなた以外のだれかが気づいて、なんらか行動するはずです。
この「私がやっておかなきゃ!」の考え方の裏側には、
「私がやっておくことで、役に立っていてここにいられる」とか、
「私から動いておくことで、気が効く良い人と思われて大事にされる」とか、
先回りして動いておくことで人と繋がっていられる、というメリットを享受していることがあるんですよね。
あるいは、先回りをやめれば人と繋がっていられなくなるかもしれない、というデメリットを回避している、とも言えるかもしれません。
そのメリットを手放す(デメリットに直面する)のが怖くて、どうしても先回りしてしまう。
...でもさ。
本当は、そんな先回りの対価を払っておかなくても、安心して人と繋がっていられるのだとしたら?
最初はなかなか、そんなこと信じられないかもしれません。
これを信じられるようにするためには、先回りをやめてみるしかありません。
まぁ〜怖いよね?
怖いならば、普段の本当に小さなことからです。
反射的に先回りしようとした時に、ぐっとこらえてボールを見送ってみる。
何度か試していくうちに、「あ、先回りしなくっても、案外大丈夫なんだ」という体感が少しずつ掴めていくはずです。
まとめ
「私ばっかり我慢して...」の言葉が出てきたら黄色信号。
先回りをやめて、あえて見送ってみよう。
自分が動かなくても、本当はちゃんと回っていくから。



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