なにそれ禅問答?
問題が生まれる瞬間
例えば、ここ最近、ブログがなんだか書けないな...と感じたとしましょう。そんな時、
「まぁ〜そんな日もあるか。代わりにお絵描きでもしよっと」
と思ったら、それは問題になりません。
「書けないって???そんなはずでは!ああぁ今日の分の記事早く書かないと。あぁ嫌だ嫌だ、このまま一生書けなかったらどうしよう...」
と思ったら、それは問題になります。
ブログが書けないことそのものが問題なのでなく、ブログが書けないことに対して問題だと感じたからこそ、問題として立ち現れている、とも言えるかもしれません。
じゃあ何もかも気の持ちようって話かよ?
辛くてもしんどくても、気のせいだと思えば問題にならないのかよ?
...というわけではなくてですね。
問題だ、と感じた何かしらの理由があるはずです。たとえば、
・ブログが必ず決まった日に更新しなければならない
・継続は途切れさせてはならない
・継続ができない自分には価値がない(継続できる自分という価値を守らねばならない)
などなど。
「〇〇はXXでないといけない」と思い込んでいるものがあるはずです。
でも、その「〇〇はXXでないといけない」って、それ本当??
この思い込みがもし解体されたら、問題だと思っていたことは問題でなくなるはずです。
・ブログは更新したい時に更新したらいい
・継続できなくてもいい(し、なんなら途中断絶があっても、続けてたらそれは継続とみなしてもいい)
・継続と自分の価値は特に関係ない。そんなことで自分の価値は決まらないよね
と、ナチュラルに思えたら(無理やり思い込むんじゃないよ!)、もはやブログが書けないことが問題にはならないはずです。
「問題」が起きたらどうしたらいい?
さて、ここまでの「問題」に対する考え方を踏まえて、改めて。
「問題」が目の前に起きたと感じる時どうしたらいいのだろう?
ルートは2つ。
・問題を克服する自分になって、解消する。
・問題を問題と捉える思い込みと向き合って、問題ごと消失させる。
ブログが書けないことが問題だと思うなら、
・何かしらの方法でブログが書ける自分になる
・ブログが書けないことを問題視する思い込みと向き合い、そもそもブログが書けないことが問題ではないと気づく(先ほど話したルートですね)
どっちのルートを辿ってもいいのですが、前者の解消ルートだと、別のところで、似たような問題に直面することがあります。
例えば、ブログは書けるようになっても、「継続ができない自分には価値がない」と思い続けていることで、筋トレが継続できない自分を責めたり、資格の勉強が続かないことを嘆いたり。
一方、後者の消失ルートの中で、「継続ができない自分には価値がない」という思い込み自体を外すことができたら、筋トレにしろ資格の勉強にしろ、なにかしら継続が必要な場面で続けられなかった時に、そもそもそれを問題視したり、悩んだりしなくなります。
前者のルートは、表面的なツールややり方さえ手に入れてしまえば解決に向かいやすいのですが、後者のルートはけっこう深く自分と向き合わないといけないので、まぁまぁしんどいです。
しんどい分だけ、実りも大きいのだけどね。
まとめ
先日、周囲の出来事に振り回されて、悩んで消耗していた時に思い浮かんだのが冒頭のフレーズ。
問題って「問題だ」って言うから問題になるのでは?
いや、ほんとそうなんだよな。
目の前で起こっていることはニュートラルで、それを問題フィルターを通して見た時に、それがネガティブな問題に見えてしまうだけなんだよな。
こちらの記事も参考になるかも。

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問題は、問題だと思うから問題になるのではないか、というお話です。
そも、問題って「問題だ」って言うから問題になるのでは?



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